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The Yearling 仔鹿物語

アメリカ映画 (1946)

1938年に出版された同名原作を映画化した作品。第2次世界大戦直前、アメリカの “反日侮蔑的態度” が反感を買う中で、日本語に翻訳されることはなかった。だから、戦後すぐに製作された映画の方が、先に日本で公開された。戦後の混乱期だったので、公開は2年半遅れの1949年6月となった。従って、題名の邦題はこの時に付けられ、原作の日本語訳は1953年が初めて。題名は映画に倣った。原題の『The Yearling』は、動物の1年子(満1年以上2年未満)という意味。南北戦争で敗けた南軍側の兵士エズラが、フロリダ中部の山中の森を自分の手一つで切り開き、狭いながらも生きていけるだけの耕作地を創り出し、近くの村から娶った妻のオリーとの間に何人も子供を設けるが、生き残ったのはジョディだけだった。この悲劇は、母の精神を病ませ、彼女を偏屈で笑いを忘れた女性に変えてしまう。そこに登場するのが、生まれたばかりで可愛い仔鹿のフラッグ。ジョディは、ペットとして飼うことを許されるが、それから1年が経つ。日本で唯一の鹿情報専門サイト「DEER INFO」によれば、「自分の本能を抑えて論理的に問題解決できるか」という能力は、「鹿には備わっていない知能だと考えられます」と書かれている。だから、1歳を過ぎて大きくなったフラッグは、ジョディの母が欲しがっていた “家のドアの前に井戸のある生活” を実現するためのタバコの苗を食べてしまい、それよりも命に直結するトウモロコシの苗を2度にわたって食べ尽くすなど、悪事の限りを尽くす。こうした状況は、『仔鹿物語』という “視聴者を誘うような甘い” 邦題からは想像もできないほどひどい。この映画の主題は、少年と鹿の交流にあるのではなく、映画の最後に父が、「そうだ。彼は戻って来た。別人になって。彼は苦痛に耐えた。もう(鹿の)1年子と遊んでいた子供じゃない」言うように、少年が子供から大人に成長する過程を描いたもの。そのための試練を与えたのが、1年子の鹿ということになる。なお、この映画で使われている、英語は、牧師に育てられた父の英語が比較的正しいのに対し、村育ちで無教養な母と、学校に行ったことのないジョディの英語は文法上の間違いがあり、それに、南部方言が加わって、極めて判読し難い独自の表現〔この映画でしか見られない言い回し〕が随所に出てきて、訳には手を焼いた。

物語は、仔鹿(1年子)が現われる前と後で、二分される。前半の主役は、荒っぽい手負いの大熊と、近所に一軒だけあるフォレスター家の善と悪の物語。善は、足の悪いファダウィング少年、ジョディの唯一の友達。悪は、フォレスターの男達の中で最も過激なレム。父が、納屋の家畜を2頭殺された仇討にジョディと熊を追うシーンは 映画の中でも一番躍動的。2匹の猟犬は頑張って闘ってくれるが、肝心の古い銃が暴発して熊に逃げられてしまう。そこで、厳格な牧師に育てられたにしては あまり良くない企みを持って、父はフォレスター家を訪れる。3匹目の役立たずの猟犬と、フォレスター家の銃の1つを交換しようという算段だ。父は、わざと3匹目を大切に持っていき、それを見たレムは、きっと強いに違いないのに、嘘をついていると誤解させられ、無能な犬と最新式の猟銃とを交換してしまう。後で、彼が怒り心頭だったことは言うまでもない。そして、その怒りを、父の納屋の豚を誘き出して盗むことで仕返しする。父は、豚の跡を追う時にガラガラ蛇に噛まれ、しばらく寝たきりになる。そして、ジョディに、蛇の毒を中和するため射殺した鹿の残した赤ちゃんをペットとして飼うことを許す。ジョディは赤ちゃん鹿と楽しい日々を送る。しかし、名前を思いつけなかったので、ファダウィングに付けてもらおうとフォレスター家を訪れると、今朝死んでしまったと聞かされる。ただ、名前だけは、死ぬ前に話していた言葉から、フラッグと決まった。そして、映画の前半と後半の境目となるファダウィングの葬儀。その帰り道から豪雨が始まり、それが6日間続く。せっかく植えた作物はすべて水浸しで枯れてしまい、食料危機が一家を襲う。父とジョディは、残っていたトウモロコシの粒を蒔き、家にない井戸を作るための費用捻出のためにタバコの種を蒔く。しかし、すぐに芽の出たタバコの苗は、大きくなったフラッグに食べられてしまう(失点1)。それをカバーしようと、切り株を撤去して綿花を植えようとした父は、力仕事のためヘルニアになって寝た切りとなり、そこに、トウモロコシの芽がフラッグに食べられるという災難が重なる(失点2)。母は激怒するが、父は、ジョディが1人でもう一度トウモロコシの粒を蒔き、その周囲に高い柵を設けることで、フラッグの追放を許してやる。しかし、高い柵が完成しても、芽が出ると、フラッグは柵を飛び越えて中の芽を食べ尽くす(失点3)。父は、生存を脅かす害獣として、フラッグの射殺をジョディに命じるが、ジョディは森に連れて行って逃がしてしまう。それでも、フラッグは執拗に戻ってくる。母がジョディの代わりに撃つが怪我をさせただけ。殺すように命じられたジョディは、フラッグを撃つと、両親を罵って家出する。そして、3日後、戻って来たジョディは、一段階成長して、大人らしい責任感を持てる子供になっていた。

ジョディ役のクロード・ジャーマン Jr.(Claude Jarman Jr.)は、1934年9月27日生まれ。この映画が最初の出演作。映画は1945年の撮影なので撮影時11歳。アカデミー賞の子役賞(1934~60年まで存在、受賞者は計12名)も受賞した。本人が2018年に出版した「My Life and the Final Days of Hollywood」という回顧録には、フロリダでの撮影では「通用する映像(viable footage)」が少なかったので、カリフォルニアにあるバックロット(映画撮影所の近くにある野外撮影用の場所)とアローヘッド湖で撮影したと書かれている。しかし、フロリダ州のオカラ国有林のPats Islandには、「The Yearling Trail」が整備され、立て看板(下の写真)には、「ジョディの通った路」まである。一体どうなっているのかは、よく分からない。あらすじの中で外輪船と村が写っている場面は、アローヘッド湖での撮影であることは確か。

あらすじ

映画の冒頭、主人公ジョディの父親ペニー・バクスターによる事前説明が入る(半分に簡略して訳)。「フロリダ、1878年4月。私は、数年前、北軍と戦いの後、小さな郵便船でジョージ湖を渡った。広い川を下り、文明から離れて荒野に戻り、住み着く場所を探し求めて。私は、川を離れて森に入った。奥深くに入るにつれ、野性味が増し、木々は密集し、それがまた魅力だった。当時、この辺りには、開拓者しかおらず、住む人も僅かだった。私は、近くの小さな村で 素晴らしい妻を見つけ、森の中に、“島” と呼ばれる 小さくて半ば肥沃な土地を開墾した。それは、もう何年も前のことだが、私たちはまだそこに住み、困難と幸福を味わってきた」。そして、開墾された畑と、母屋、納屋、小屋が映る(1枚目の写真)。「これが我が家。バクスター島と呼ばれている。ここには、私と、妻のオリーと息子のジョディが住んでいる」。母が、すべて(屋根も)木で造られた侘しい母屋のバルコニーに仁王立ちになり、「ジョディ!」と呼ぶ。しかし、ジョディは、いるハズの場所にはおらず、森の中の小川に水を飲みに来たアライグマの親子を嬉しそうに見ている(2枚目の写真)。彼が、うっかり、「すごく可愛い子供たちだね〔Them's mighty pretty little fellas you got〕」と声をかけたので、アライグマはさっと逃げ出す。母の呼び声を、畑の木の柵のところで耳にした父の、遥か後方に、こちらに向かって走ってくるジョディがいる(3枚目の写真、矢印)。それに気付いた父は、「その辺にいるさ」と、ジョディを庇う。母:「どうせ、そこら辺で 遊び回っているんだわ。水が要るのよ」〔この “島” には、井戸すらない〕。「汲んでくるよ」。「伐採は終わったの?」。「ちょうど今」。そこに、ジョディが帰って来る。「やあ、父ちゃん」。父が、どこにいたかと訊くと、「谷間。横になってたら、眠っちゃった」〔本当は、トウモロコシ畑で草を刈っていないといけなかった〕
  
  
  

父は、「『こんな晴れた春の日には、ぶらぶら歩きしなくちゃ』と思って当然だ。そうなんだろ〔That the way you figured〕?」と訊き、ジョディは、「そうだよ、父ちゃん」と肯定する。父は、「だがな、母ちゃんは ぶらぶら歩きには賛成せん。ほとんどの女性は、男性が “ぶらぶら歩きが如何に好きか” 一生かかっても分からんのだ」と説明した上で(1枚目の写真)、「お前が、ここにいなかったとは言わず、『その辺にいるさ』と言っておいた。我ら男性は、平和の名の元に団結しないとな」と、100% ジョディの側に付く。2人はそのあと納屋に行くが、そこでジョディは、谷間でアライグマの親子を見たことを話し、①母に話していい? ②子供を1匹捕まえてペットにしたら母だって気に入る、と愚かなことを言い出す。こんなことを言えば、谷間で遊んでいたことがバレるので、父は反対する。でも、ジョディは、「一緒に遊んでくれるペットが欲しいな」と考え込む(2枚目の写真)。食事の時間になり、母が作ったスイートポテト・パンを見た時、うっかり谷間で水を飲んでいた老いた雄鹿のことを話してしまい、「いつ谷間に?」と母に訊かれ、「今日」と答えたので、母は、「あんなに何度も呼ばせて。吠える犬と違って 口先だけなんだから」と腹を立てる〔後半の英語は、「You gettin' slick as a clay road in the rain」という、この映画だけで見られる構文。「get' slick(口先だけ)」という慣用句と、「slick as a clay road in the rain(雨でぬかるんだ泥道にように滑る)」とが重複した構成。そのままでは訳せないので、この家には猟犬が3匹いることを踏まえ、日本語の慣用句「吠える犬は噛みつかぬ」を誤用した形で、母の無学ぶりを出すよう訳した〕。ジョディは 「冗談だよ」と言うが、もう嘘は通じないどころか、彼を庇った父も悪者にされる。それでも懲りずに、ジョディは、「母ちゃん、今日、あるもの見たんだ〔「I seed a thing today」。sawの代わりにseedと過去形を間違えている→母も常に間違えている〕」と、アライグマのことを嬉しそうに言いかけ(3枚目の写真)、父に足を 蹴られる。母が、「聞くべき? 無視するべき?」と訊くと、ジョディは、「ただの、おっきなカエルだよ」と誤魔化し、父もホッとする 。
  
  
  

食事を終えて寝室に行ったジョディは、また、食堂兼居間にいる父に向かって問題発言を繰り返す。「父ちゃん、アライグマは食べる前に、ちゃんと洗うかな?」(1枚目の写真)。「そうだ、坊主、もう寝ろ」。「いつも食べる前に洗うんなら、すごく清潔な動物だよね?」。「そうだ。いいから寝ろ」。「自分で自分の面倒も、見れるんだよね?」。「たいていの動物は、みんなそうだ。寝るんだ」。3回もアライグマが出て来たので、遂に母が口を出す。「アライグマが どうかしたの?」。父:「さあな」。ジョディ:「今日、見たって言ったよね?」。「ああ、言った。いいから、寝ろ」。ジョディは、ベッドから出て、食堂に入ってきて、「赤ちゃんが2匹いたって話したよね?」。「ああ、そうも言った」。「母ちゃんも、あの赤ちゃん見てたら、すっごく好きになってただろうな〔she'd have loved it to death〕」。ジョディの策略を察した母は、「アライグマは、ここには入れない」とバッサリ。ジョディは、さらに、熊や狐や山猫の赤ちゃんやフクロネズミを例に挙げ、ペットが欲しい、ミルクもたっぷりあると言うが、母は、「ミルクがたっぷり? 一滴も余裕はないわ〔There ain't a extra drop from sun to sun〕」と、これもバッサリ。さらに、「私たちが食べるだけで精一杯なのに、どこにそんな余裕があるの〔How you think we can spare rations for some critter whereas all we can do is keep our own bellies full〕?」と付け加える。それでも、ジョディは、「僕は、自分だけのもの、僕に付いて来てくれるものが何か欲しいんだ」と粘る(2枚目の写真)。それに対する母の叱咤は、「12歳になっても、まだ人形遊びがしたいの? あんたの父ちゃんは、12歳で、立派に男として働いてたわよ」というもの。ジョディは あきらめてベッドに戻る。2人だけになると、母はさらにジョディの遊び癖を批判し、父はジョディの動物好きを援護する。母は、その後、墓地に行く。最初の墓はデイヴィッド(1歳3ヶ月で1870年に死亡)〔8年前〕。2番目の墓はオーラ(2歳4ヶ月で死亡)。3番目の墓はエズラJr(名前だけ) 〔母は3人の子供を失っている/原作では6人〕。父はジョディの部屋を訪れ、母が墓地に行ったと話す。そこから、一家のお墓の話となり、エズラが死産だったと分かる。それを聞かされたジョディは、「母ちゃんは一度も話さないね? だから、怒りっぽいの?」と訊く。父は、「お前が、物事の理由を探すようになったことを誇りに思う。人々は 時々意味もなく変になるが、本気じゃないんだ〔figuring out what makes people rare sometimes and they don't really mean it〕。お前の母ちゃんは、素晴らしい人だ」と言い聞かせる(3枚目の写真)。
  
  
  

ある朝、納屋に行ったジョディは、母屋まで走って父を呼びに行く。父が駆け付けると、中では、子牛と子豚が1匹ずつ、無残に殺されていた(1枚目の写真)。父は、土に付いた足跡から、犯人は熊だと断定する。ジョディは、「右前脚の指が1本ない… “がに股じじい〔old Slewfoot〕” だ!」と指摘し、父も認める。猟犬が吠えなかったのは、風下から近づいたから。後から見に来た母は、貴重な家畜が2匹も失われ、愕然とする。父は、すぐに熊を成敗するために追いかけることにし、ジョディも初めて熊狩りに同行させてもらう。父は、ジョディを従え、3匹の猟犬と、昔買った古い銃を持って出発する。森林の中に入ると、2匹の先輩の猟犬が走って熊を追いかけ、入手して間がない猟犬は一緒に連れて歩く。その間も、父は、初めて一緒に熊狩りに連れてきた息子にいろいろと教えるが、その最後にジョディが、「父ちゃん、弾は込めた?」と訊いたのに、父が何も答えないのは、伏線か? ジョディは、4月なのに暑い中を足早に歩き詰めだが、疲れたと言いたくないので、「僕たち、がに股じじいを、かなり疲れさせただろうね」と、間接的に表現する。父はすぐに察して、「あいつが現われたら、疲れなんか吹っ飛ぶぞ」と元気づける。追跡はさらに続き、ジョディは、「怖くなったら、木に登るべき?」と訊き、優しい父は、「大喧嘩をみるには、いい場所だ」と、それも肯定する。その時、2匹の犬は、森を抜けて池にぶつかり、臭いが消えてしまい戸惑う。しかし、犬の接近を感じて逃げ出した熊を見つけると全力で走り出す。親子も、浅い水の中を、犬の声を追って全力で走る(2枚目の写真)。池の先は、深い藪。そして、そこを通り抜けた先で繰り広げられる熊と犬2匹との死闘は迫力がある(3枚目の写真)。
  
  
  

2匹の頑張りように比べて情けなかったのは、新しい犬と父。新しい犬は、その闘争を見て、真っ先に逃げ出す。そして、最初に父が向けた銃は、弾込めを忘れたのか、銃が悪いのか不発。そして、2回目は暴発(1枚目の写真、矢印は 木に登ったジョディ)。熊は逃げ去り、後には、重傷を負った犬のジュディーが残された。2人は、ジュディーを丁寧に布の上に置く(2枚目の写真)。馬もいないのに、犬をどうやって運んだのかは映らない。次のシーンでは、もうテーブルの上に乗せられ、母が心配する短いシーンの後、もう一度抱かれて、ジョディの部屋に連れて行かれる。父は、ジュディーのことを心配するジョディを慰めた後、大変な体験をした後なので、ジョディのベッドに入って一緒に横になる。そして、「熊を追い詰めるのは気に入ったか?」と訊く。「若木をなぎ倒しながら追跡するのはね」。「だが、戦いは怖かったろ?」。「すっごく」。「仕方ないんだ。厳しいことだが、それは定(さだ)めなんだ。殺すか、飢えるかの。一緒に付いて来てくれて誇りに思うぞ」。そう言うと、「近くに寄れ。暖めてやる」とジョディを抱き寄せる(3枚目の写真)。3人の子を失って以来、長年にわたって うつ病の兆候が続いている母は、一人でベッドに入る。
  
  
  

翌日、朝食の際、父は母に、「新しい銃が必要だ。でないと、取り返しがつかなくなる」と話す。「新しい銃なんてどうやって? お金はどこにあるの?」。「そこにいる新しい犬と交換するつもりだ」(1枚目の写真)。「役立たず〔no-account〕だって言ったじゃない」。「あいつは熊狩りには向かん。それは確かだ。だが、フォレスターの連中は犬が大好きだろ」。母は反対するが〔何にでも〕、父は、何を言われても主張は変えず、ジョディを自分の後ろに乗せ、役立たずを横に歩かせて、フォレスター家に向かう。道々、父は、「ファダウィングに会えて嬉しいか?」と訊く。「僕、好きなんだ」。「彼の話を真面目に取り過ぎなければ、害はないな」。「誰にも害なんか与えないよ。母ちゃんが言ったように、頭が変でもないし」(2枚目の写真)。家に近づくと、父は、役立たずの犬を抱いてから、馬に乗り直す〔大事な犬に見せるため〕。フォレスター家も、多人数が住んでいるのに、建物の作りはジョディの家と全く同じ “すべて木で造られた侘しい家”。2人が家の前の柵まで行くと、7匹の猟犬が飛び出してきて、その後から、老いた両親と、6人の荒くれ男達が出て来て、うち3人が口論を始める。それを、老いた母が箒で叩いて止めさせたところに、ジョディと父と役立たずの犬が到着し、歓迎される(3枚目の写真)。
  
  
  

大人たち全員が家の中に入って行くと、家の裏手から右足首が捻じれているために杖を突いて歩いているファダウィングが現われ、ジョディと挨拶を交わす〔原作によれば、ファダウィングの不具は生まれつき。ファダ(fodder=乾草)の束を腕に付けたウィング(wing=羽)で納屋から飛ぼうとしたので付いたあだ名〕。ファダウィングは、さっそく、「アライグマの赤ちゃんを手に入れたよ」「鷲は死んじゃった。閉じ込められると暴れるんだ。羽のあるものは 二度と飼わない」と話す(1枚目の写真)。「どうして?」。「羽があったら、どうする? 飛び去るよね? そしたら、戻って来る?」。そう言いながら、ファダウィングはジョディを木の飼育箱まで連れて行く。最初のは、以前にもジョディが見たウサギが2匹入った箱。その隣がアライグマの箱。仕切り扉を上げると、アライグマが飛び出して来て、ジョディにじゃれる(2枚目の写真)。
  
  

一方、家の中では、ジョディの父が、昨日の熊狩りの話をしている。ファダウィングと話し終えたジョディも、父の横に座る。話の要点は、①犬達を先に行かせた〔役立たずを手元に置いておいたことは伏せている〕。②犬達は熊をジュニパー・クリークの端で熊に追い着いた。ここで、一番口うるさいレムが、「その犬も一緒だったのか?」と訊き、父は、「一緒だった」と言う〔他の2匹と一緒ではなかったという点では嘘だが、父にくっついて離れなかったという点では正しい〕。「追跡はうまかったか? 熊を寄せ付けなかったか?」。「それが違うんだな。こいつは、これまで持った中で、一番情けない奴だった」(1枚目の写真)〔これは本当〕。「なら、なぜそんなに大事そうに抱いてる?」。「あんたんとこのブラッドハウンドたちが戻って来たら、噛みつかれないようにするためさ」。「大切なんだ?」〔そう思わせたかった〕。レムのくどい質問に文句が掛かり、熊狩りの話が続く。③追い詰められて立ち上がり、ジュリーが喉に噛みつく。④ジュリーが押しのけられ、銃で撃つ機会ができた。しかし、銃は不発。⑤ジュリーは殺され、リップは切り傷を負い、この犬は役立たず〔ジュリーは死んではないない/リップはケガをしていない〕。⑥最後に、銃が暴発、熊は逃げた。みんなは、話に夢中になるが、レムだけは、「あんたは嘘つきだ。2匹の犬だけじゃ がに股じじいのような熊は 尻尾を巻いて逃げん。この犬についてなぜ黙っとる?」と疑問をぶつける。「言ったろ。こいつは役立たずなんだ」。「怪我もしとらん」。「確かにないな」。「あんな熊と闘って、かすり傷もないとはな」。「こいつは能なしだ。こいつで取引しようなんて考えないでくれ。まやかしで騙されたと思われたくないからな」〔この積極的な否定は、かえって相手の気をそそる〕。ここで、老いた母親が出てきて、「来ると分かってれば、もっとまともな物を作ったのに」と弁解し、客人に食事が出される。食事が始まると、すぐにレムが立ち上がり、壁に掛かっていた銃のうち1つを取ると、それをジョディの父に差し出し(2枚目の写真、矢印)、「俺の望みは、がに股じじいの死と、あの犬だ」と言うと、さらに、その銃が如何に高性能かを並べ立て、最後にその場で2発連射してみせる。ジョディの父は、「あいつで狩りをした後、私を毒突いたりしない〔not to beat the puddin' out of me〕と約束するなら」と言って申し出を受ける。レムは手を差し出し 「握手だ」と言い、2人は取り決めに合意する。それを見たジョディは、誰にも見られないように、つい笑ってしまう(3枚目の写真)。
  
  
  

ジョディは、ファダウィングのツリー・ハウスで一夜を過ごす。ファダウィングの母は、ランプを掲げて、「そこには、十分な毛布があるかい?」と訊く(1枚目の写真)〔全景がわかる唯一の構図なので採用した〕。ジョディは、ファダウィングが飛ぼうとした日について質問する。「今日みたいに、晴れて明るい日だった」。「それで、屋根の端まで行ったの?」。「うん」。「で、ジャンプした?」。「空に向かって」。「どんな感じ?」。「ジャンプすると、一瞬 飛んでるみたいに感じた… 鳥みたいに。それから先は、真っ暗」(2枚目の写真)「真っ暗なのは、ずっと続いた」。「すごく痛かった?」。「まあね」。「飛べたのに」。「幼すぎたんだ。いつか飛んでみせる。どんどん先まで。歩くより楽だ。飛んでみてから、歩くのが大変になった」。そこから、ファダウィングの空想が始まる。
  
  

次のシーンは、何日後かは分からない。3人が、水汲み場、兼、洗濯場まで来ている。父は、水源から2個の桶に水を汲み入れ、母は洗濯をしている(1枚目の写真)。この後、父は、肩に担いだ棒の両端に桶を吊るし、家まで運ぶことになるが、それが家で使うことのできる唯一の水になる。一方の母は、洗濯場に持って来たどの服も破れかけているので、心配する。父:「黒のアルパカ〔アルパカ毛織の衣服〕は素敵じゃないか」。母:「3年も経つのよ。こんなに働いてるから、ボロボロになったわ」。それを聞いた父は、「家から半マイル〔800m〕離れた陥没穴まで洗濯物を運び、料理のために水を運ぶ。いつか、井戸が持てるようになる。ドアのすぐ横に」と慰めるが、母は、「見たら信じるわ。もう何年も聞いてるから、信じない」と冷たく応える。その言葉に動かされたのか、父は、「これから、ジョディと村まで行ってくる」と言い出す。そして、2人は馬車に乗って渡し場までくる(2枚目の写真)〔両岸のロープで木の台を引っ張って渡す/ロープは父が自分で引っ張る〕。そこで最初に会ったのが、レムを除くフォレスター家の4人。父が、「交換した犬は使ってみたか?」と訊くと、「レムは避けた方がいい」とのアドバイス。父は、採れた穀物を店に運び入れ、それと交換に買い物をする。リストの中には、12ゲージ〔散弾銃、口径約18.5ミリ〕の弾を2箱、鎮痛剤1箱〔母用〕も入っている。父は、最後に、「少し現金を残し、タバコの種を買い、その収穫で煉瓦とモルタルを購入し、ドアのすぐ外に井戸を作ろうと思ってる」と話す。しかし、その直後、黒のアルパカを見つけ、店主から、「このアルパカのドレスは、4-5年前の夏、奥さんに売りました」と言われると、さらに考え込む。親切な店主は、久し振りに会ったジョディに、「1ダイム硬貨〔10セント〕で好きな物を売ってあげよう」と言ってくれる。そして、彼がハーモニカに惹かれていることを知ると、売れずに置いてあると嘘を付き、10セントでプレゼントする(3枚目の写真、矢印)。しかし、そこに店主の娘が現われ、本当はジョディが好きなのに、ワザと舌を出して “あっかんべー” をしたり、両手で顔を引っ張って可笑しな顔をしてみせたりしたので、怒ったジョディは、床に落ちていたジャガイモを拾って少女のお尻にぶつけ、せっかくもらったハーモニカを置いて店を出て行く。少女は、自分の方が悪いのに、泣き出す。
  
  
  

父が、品物は後で取り戻ると告げて店から出ると、そこにジョディが駆けてきて、オリバーとレムが “彼女” をめぐって喧嘩していると緊急通報〔オリバーは、この映画に時々話題として出て来る船乗りだが、物語にほとんど無関係なので、記載は最小限に留める〕。父は、さっそく1対3で不利な戦いを強いられているオリバーに加勢。それを見た残りのフォレスター3人も喧嘩に加わり、2対6になったので、ジョディもレムに飛びかかるが、あっという間に投げ飛ばされる(1枚目の写真、矢印の方向)。ジョディは、それでも、懲りずにレムに飛びかかる。そこで喧嘩のシーンは終わりとなり、次は、顔に傷を負ったジョディが、恐る恐る、家に入って行く〔店で買った物を持っている〕。母は、「何があったの?」と訊く。「僕たち、けんかしたんだ」。「誰が?」。「僕と父ちゃんとオリバーが、フォレスターの連中と」(2枚目の写真)。そこに、右目を殴られた父が、店で買った袋の残り半分を持って家に入ってきて、テーブルの上に5ドルを置き、そのお金でタバコの種を買い、来春には、その儲けで煉瓦とモルタルを買い、ドアの外に井戸という、店で話したことをくり返す。それを聞いた母は、「夢みたい… 家で洗濯ができ、いつでも水が使え、こぼしたって構わない。私の体を冷やすためだけに、バケツ1杯の冷たい水を使っていいなんて」と感動する〔如何に、ひどい暮らしをしてきたのだろう〕。しかし、この喜びはすぐに消え、「頼んだ物の半分しかないじゃないの。信頼できる男なんて 一人もいないのね〔「I never knowed」。knewの代わりにknowedと過去形を間違えている。ジョディは学校に通っていないので、母から間違った文法を教わったことになる〕。私の鎮痛剤はどこなの?」。そう文句をいいながら最初の包みを開くと、そこにあったのは、黒のアルパカのドレス。それを手に取った母は、感謝するどころか、「男なんて いつもこう! こんな物にお金を捨てて! ほんとに考えなしなんだから! 一体幾らしたの!? この馬鹿げた物に幾ら無駄遣いしたのか、言いなさいよ!?」と怒鳴りまくる(3枚目の写真、矢印)。しかし、2人がいなくなると、母はアルパカのドレスを大事そうに体に付けてみる。
  
  
  

すぐ次のシーンでは、トウモロコシ畑の中を、ジョディが馬に乗り、その後を鋤(?)を引きながら続いているが(1枚目の写真)、なぜ50cmほどの高さになったトウモロコシの中でそんなことをするのか、農業知識ゼロの私には分からない。そこに母がやって来て、「昨夜、豚が戻って来なかったの知ってる? 盗まれたのよ」と、衝撃的なことを言う。「盗まれた?」。「餌につられたの。これ見てよ。トウモロコシがばらまかれて〔「I seed corn scattered」、ここでも、seed(saw)を使っている〕、豚の足跡が付いてたわ」と、拾ってきたトウモロコシの粒を見せる。「奴らがやったのよ」。「誰なの、母ちゃん?」。「あんたの友だちよ」。父は、ジョディに銃を取りに行かせ、その後、2人で林の中を調べて行くと、大掛かりな罠が仕掛けてあり、中は空だった。そして、荷車の轍の跡が、フォレスターの家に向かって付いている。父は、豚を奪い返しに行こうと歩き始めるが、ある意味 不注意なことに、ガラガラ蛇に左腕を噛まれる。蛇はすぐに撃ち殺したが、猛毒だということは心得ているので、傷口から毒を吸い出し(2枚目の写真)、ジョディに拾わせた銃を持った父は、罠の近くで鹿を見つけ、直ちに銃で撃ち殺し、ナイフで腹を切り裂き、肝臓と心臓を持ってこさせる。それを、ナイフで切り開いた噛まれた場所に押し付け、毒を吸い取らせる〔効果のほどは不明〕。その時、母鹿と一緒にいた仔鹿が取り残されてしまう。父は、何とか一人で家に戻ることにし、ジョディにはフォレスター家に行き、医者のウィルソンを連れてきてもらえと指示する。「それしか助かるチャンスはない」。ジョディはフォレスターの家の前まで行くと、「ファダウィング!」と何度も叫び、撃たれないようにする。そして、男達が出て来ると、「父ちゃんが、ガラガラ蛇に噛まれた!」と言い、医者を呼んできて欲しいと頼む(3枚目の写真)。緊急事態だと理解した 一番まっとうな2人は、1人が医者を呼びに、もう1人が父の様子を見にジョディと一緒に家に向かう。
  
  
  

一晩が過ぎ、父が目を覚ます。周りには、ジョディ、母、医者、フォレスターの2人が眠っている。父は手を伸ばしてジョディの頭を撫で(1枚目の写真)、それでジョディが目を覚ます。そして、父と目が合うと、にっこりして、何度も 「父ちゃん」と呼びかける(2枚目の写真)。「死神には、ちょっと待ってもらわないとな」。ジョディは、医者に呼びかけ、その声で全員が覚ます。医者は、熱が下がったのを確かめ、「何てこった〔Lord of the jaybirds〕、治ってる」と驚き、母は泣き始める。父は、まだウトウトしているので、それ以外の5人で朝食を取る。フォレスターの1人が、「まだまともじゃないが、何と〔by thunder〕 生きとった」と言い、もう1人は、「俺なんか、どうやって埋めようかと考えとった」と言う。医者は、「ウィスキーなしで よくまあ助かったもんだ」と言う。「なんで、持って来なかったんだ、ドク?」。「あんたに乗せてもらった時には、最後の1本を飲んじまってたからな」。母は、ジョディに、暖かいミルクを持って行かせる。
  
  
  

ジョディは、ミルクを飲んでいる父に、「危なかったんだよ〔'Twere a near thing〕、父ちゃん。今はもう大丈夫だけど」と話す。「そうだな。お前が冷静に〔kept your head〕、やるべきことをしてくれたからだ」。「父ちゃん、撃ち殺した雌鹿のこと覚えてる?」。「忘れられん」。「きっと、雌鹿が命を助けたんだ。だよね?」。「その通り」。「あの時、仔鹿がいたの覚えてる?」。「それで?」。「きっと、すごく怖がってて、寂しくて、お腹空いてるよ」。「まあな」。「育てるのに、餌も少なくて済むよ。すぐに大きくなって、葉っぱやドングリも食べるようになるし」(1枚目の写真)。こう搦(から)め手で攻めた後、今度はストレートに、「父ちゃん、探しにいっていい?」と訊く。「ここに連れてくるのか?」。「連れてきて、育てるんだ」。「私をうまく丸め込んだな。母ちゃんに、私が許したと言っておいで」。こうして、ジョディは仔鹿を探しに行き、念願通り発見し、抱き上げて家まで連れて来て、父に見せる(2枚目の写真)。これから、ジョディと仔鹿の友情のシーンがずっと見られると誤解させる笑顔だ。そこに母が入って来て、「長いことミルクが要るわね。こんなに小さいと知ってたら、同意しなかったかも」と、いつもの調子で不満を漏らしたので、父はさっそく、「オリー、一つだけ言っておく。二度と言わない。仔鹿はジョディがするように、歓迎してやるんだ。仔鹿はジョディのもので、ミルクや餌について渋ることなく受け入れろ。これはジョディの仔鹿で、私の犬のジュリーと同じだ」と、ズバリ言う。それを聞いた母は、「小さいと言っただけよ」と 譲る。ジョディは、「迷惑はかけないよ」と母に誓うが、勝手にバルコニーに出て行った仔鹿は、そこに置いてあったミルクの入った桶に顔を突っ込む(3枚目の写真)。これが、その後のすべての揉め事の第一号で、最初からトラブルメイカーだったことが分かる。
  
  
  

『仔鹿物語』という邦題らしい、唯一の場面。ジョディは仔鹿と一緒に野原を走り回り(1枚目の写真)、谷間の水を飲み(2枚目の写真)、母の前で仔鹿の目を見せ、「可愛いよね?」と言い〔母:「かなり、いたずらそうね」〕、「しっぽも可愛いよね?」〔母:「鹿のしっぽはみんなそうよ」〕。「可愛がりたくない?」(3枚目の写真)〔母:「仔鹿なんか可愛くないわ」/何て嫌な女〕。ジョディは、名前を付けたいと思うが、思いつかない。そこで、ファダウィングに付けてもらうことにして、「行っていい?」と母に訊く。返事は、「私が何を言っても、ここじゃ通用しないんでしょ」。こんなひどいことを言われても、許可されたことに喜んだジョディは母に抱き着く。すると、鹿の臭いが染みついていたので、「仔鹿と一緒に寝るのはやめなさい」と叱られる〔ホントに嫌な女〕
  
  
  

その夜、ジョディは、明日は名前を付けてもらえるぞと言い、仔鹿を抱いて一緒にベッドで寝る(1枚目の写真)。翌朝、ジョディは仔鹿と一緒にフォレスターの家に行き、抱いたまま柵を通って家に近づきながら、「ファダウィング」と呼ぶ。すると、一番親切な男が出て来て、「彼は死んだ」と言う。それを聞いたジョディは、唯一無二の親友を失い、顔面蒼白となる(2枚目の写真)。「でも、会いに来たのに」。「来るのが遅かったな。時間があれば、お前さんを呼びに行ったんだが、ドクを呼びに行く時間すらなかった。息をしてたかと思うと、次の瞬間には息が止まってた。まるでろうそくを吹き消したかのように」。そう悲劇を説明すると、「会ってやってくれ」と言って、家の中に連れて入る。中では、いつも元気一杯の男達が、悲しみにくれている。男は、ファダウィングの遺体が安置されている奥の部屋にジョディを連れて行き、「彼には聞こえないが、何か言ってやってくれ」と頼む。ジョディは、ファダウィングの前まで行くと、手を上げて、「やあ」と言ったきり、後は、泣き崩れて男に抱き着く。男は、「彼が、お前さんの仔鹿に会えていたら良かったのに。俺は仔鹿のことを彼に話した。彼は、熱心に仔鹿について語った。『ジョディに弟ができた』とも言った」。「だから、僕、来たんです。ファダウィングに名前を付けてもらおうと思って」。「彼は、こう言ってた。『仔鹿の尻尾は小さな白い旗だ。もし、僕が仔鹿を持ってたら、フラッグ〔旗〕って名付ける』」(3枚目の写真)。これを聞いたジョディは、仔鹿の名前をフラッグに決める。そして、ファダウィングの埋葬のシーン。フォレスターの当主は祈りが苦手なので、ジョディの父に代わりに別れの言葉を頼む。父は、定番の弔辞から始め(4枚目の写真)、ファダウィングの不幸な足が治り、大好きだった動物と、天国で楽しく暮らせるようにとの、優しい言葉で言葉を終える。この先、フォレスター家は、映画には出てこない。ここからが、本当の 『(憎たらしい)仔鹿の物語』。 
  
  
  
  

埋葬の帰り、天気が急変し、土砂降りの嵐となる。ジョディは、父と一緒に馬を何とか厩舎に入れる(1枚目の写真)。外に出ていた牛や、豚も、それぞれの納屋に入れないといけない。全身ずぶぬれになった2人は、犬2匹と仔鹿と一緒に家の中に逃げ込む。母は、2人の努力に感謝するどころか、「何よこれ!」と、犬と鹿を家に入れたことを咎める。「こんな嵐じゃ、外に出しておけん」。「吹き飛ばされちゃうよ〔get blowed clean off the place〕、母ちゃん」。母は、ジョディに向かって、「私の邪魔にならないように」と命じた上で、父に向かっては、「いっそ、牛や馬や他のお気に入りも一緒に入れたら?」と嫌味を言う。父も、「なら、がに股じじいも探しに行かないとな」と応酬。これで、ようやく母は、息子が風邪を引くと困るので、濡れた服を脱ぐよう命じる〔母親失格〕。その夜は、激しい豪雨と嵐。父は、暖炉の前に横になったジョディに、面白くもない話を聞かせ、それでもジョディは笑う。その後、母が さらに下らない話をし、ジョディと父は戸惑うばかり。外では、雷が響き渡る〔時間当り50ミリ近い雨?〕。数日後、激しい雨の中、外を見に行った父は、畑が水浸しになっていて、トウモロコシの多くが倒れているのを見て愕然とする。次のシーンでは、家族3人で、水没した中から各種の野菜を取り出して籠に入れている(2枚目の写真)。そして、それらを家の中に運び入れ3種類に仕分けして並べる。テーブルの上に山積みにした茶色の野菜(ジャガイモ?)を調べた母は、「ほとんどすべて腐ってる」(3枚目の写真)と吐き捨てるように言ったきり、何もせず、窓の外を見ている。父の方は、白い実のついた野菜(ダイコン?)を暖炉で「くるくる回して乾かせ」とジョディに命じる一方、「豆のほとんどにカビが生えてる」とあきらめる。母は、「6日間もずっと雨。もう死んだ方がマシだわ」と、当たり散らす。父は、「ヨブの苦難はもっとひどかった」と諫める〔神への信仰の篤かったヨブに対し、サタンに唆された神が科した、“神への忠誠心が微動だにしないことを確かめるための” 不条理か残虐な仕打ち(「人文学研究」、No.14、pp7-28〕。信仰心の薄い母は、「それだけ? それでどうかなるの?」と父を罵る。そして、反対側を見ると、何と、憎たらしい仔鹿が、貴重な肉を食べている。それを見た母は、「何てことするの! この呪われた〔dad-ratted〕害獣め!」と言って、仔鹿の頭を叩くと、仔鹿が倒れる時に、貴重なミルクの入った樽をイスから落として床にぶちまける(4枚目の写真、矢印は肉、真っ白なのが樽のミルク)。仔鹿の “呪われた害獣” ぶりが発揮された2回目の場面。
  
  
  
  

その直後、急に雨が小降りになる。バルコニーに出てみると、辺り一面が泥の海のように冠水しているが、雨は止んでいる。それを見て嘆き悲しむ母に、心の広い父は、「私たちは時として非常に落ち込み、二度と立ち直れないように感じることがある。それは、私たちの中で何かが壊れ、諦める気になってしまうからだ。だが、私たちにはできる。残されたものは少ないが、それが全てなんだ。少なくとも、それがあることに感謝しようではないか」と話しかける(1枚目の写真)〔有名な台詞なので、英文を標記しよう。「Ma, it seems like at times a body gets struck down so low, ain't a power on earth can ever bring him up again. Seems like something inside him dies so he don't even want to get up again. But he does. Ain't much of a world left for us, but it's all we got. Let's be thankful we got any world at all」。孤鹿物語の英語は本当に難しい〕。次のシーンでは、輝く太陽の元、水の引いた畑で、父が鍬(くわ)で畝(うね)を軽く掘り、そこにジョディがトウモロコシの粒を蒔いている(2枚目の写真)。この先が、よく分からないのだが、極めて小さな区画を木の簡単な柵で覆い、中にタバコの小さな葉が見えている(3枚目の写真)。こんな昔に、タバコの苗を売っているとは思えないので、この苗床にタバコの種を蒔いて、ここまで育てたことになる。ネットで見てみたら、種を撒いてから発芽まで4-10日と書いてあった。栽培期間は40-60日。苗床の中は緑で一杯なので、「豪雨→整地→種を買いに行く→蒔く→発芽→少しだけ生育」までに、かなりの時間を要したと思われる。
  
  
  

明日は、以前、チラと出て来たオリバーの結婚式なので、一家揃って村の教会まで出かける。そこで、ジョディは窓からから顔を出し、寝床にいるフラッグに話しかける。「明日は、お前だけだ。いい子でいろよ。分かったか? お前も少し大きくなった。そのうち雌鹿が欲しくなるだろ。そしたら、僕が谷間に家を造るから、みんなで一緒に住もう」(1枚目の写真)。そして、翌朝、3人は馬車で村へ(2枚目の写真、矢印)。結婚式を終えたオリバー夫妻は外輪船でボストンに向かう。帰りの馬車の中で、ジョディは、「友だちが去っていくのは嫌だな。ファダウィングの時みたいに、死んだような気がする」と寂しく言う。父は、「それが人生だ。得ては失い、失っては得る」(3枚目の写真)。「フラッグがいて、嬉しいよ」。
  
  
  

ジョディがフラッグと納屋でじゃれていると、タバコの苗床では深刻な事態となっていた。苗床を囲んでいた柵が壊され、中の苗も食い荒らされていたのだ。ジョディが 「どうしたの、父ちゃん?」と訊くと、父は 「タバコの種を買うために、長い間節約してきたのに」と悔しがる(1枚目の写真)。「フラッグじゃないよ、父ちゃん」。「フラッグだ。半分が食われた」。「わざとじゃないよ」。母は、長年待ち望んできた井戸がダメになった怒りで、ジョディがどう弁解しても、一切無視する。そして、父も、「もう、生まれて1年になる〔He's a yearling now〕。そんなに可愛いか?」〔映画の原題は「The yearling(1年子)〕。「うん、すごく」。「お前も、あれから1年だ。私は悲しいよ」。ジョディは、フラッグのところに走って行くと、「なぜ、あんなことした? お前は1年子なんだぞ。もう大きいんだ。いい子にしなきゃ」と叱る。父は、ジョディに、井戸の解決策として、畑を拡張するために、外側に残っている大きな切り株を2人で撤去し、そこに綿花を植える可能性を指摘する。そこで、ジョディが切り株の周りを掘り、切り株を鎖で縛って馬に牽かせ、父は、背後から “てこの原理” で切り株を持ち上げようとする(2枚目の写真)。しかし、力を入れ過ぎて左大腿上部を押さえて苦しむ。その時、心配するジョディには、「大丈夫」と言うが、結局はベッドで寝る羽目に。口の悪い母は、「いつ止めるか、少しでも常識があれば… 十中八九〔more than likely〕、ヘルニア〔ruptured yourself〕よ」と責めるだけ(3枚目の写真)。たまりかねた父は、「黙っててくれ」と母を追い払う。そして、父の代わりの農作業を申し出たジョディが、自分のやるべきこととして、①ササゲ(マメ科の一年草)を耕し、②トウモロコシをヨトウムシから守る、と挙げると、父は、最も重要なこととして、③1年子を畑に入れないよう注意することを忘れている、と指摘する。
  
  
  

翌日、ジョディは、フラッグと一緒に鉄砲を持って狩りに行き、堂々と獲物を持って帰ってくる。そして、父のベッドの前まで来ると、獲物の鳥を見せて自慢する(1枚目の写真)。そして、「何もかも うまくいってるよ。トウモロコシは、これまでで見た〔seed〕中で最高だし…」。ここまで話して、ジョディは父の怒った顔にようやく気付く。「どうしたの、父ちゃん?」。「トウモロコシを最後に見たのは いつだ?」。「昨日。良かったよ。1インチ〔2.5cm〕くらいの高さ」。「お前の母ちゃんは、食われていると言った」。ジョディは、母の方を見て、「トウモロコシを?」と訊く。母は頭に来ているので何も言わず、父が、「ほとんど残ってないそうだ」と補足する。「昨日は何ともなかったのに」(2枚目の写真)〔今朝、確かめもせず狩りに行ったジョディが一番悪い〕。ジョディは、フラッグのせいじゃないと弁護するが、母に、「見にお行き!」と怒鳴られ、走って見に行く。ジョディが出て行くと、母は、父に向かって、「決まりね。鹿は出て行かせる」と強く言う。トウモロコシを見に行ったジョディは、畑の惨憺(さんたん)たる有様に〔恐らく、自分の甘さ、愚かさに〕愕然とする(3枚目の写真)。
  
  
  

父の前に戻ったジョディは、「フラッグだったか?」と訊かれ、「そう思います」と敬語を交えて答える。しかし、そのすぐ後、「でも、二度としないよ、父ちゃん。僕、罰してやるから。棒で叩いてやるよ。これまで一度も叩かれたことないから」。「そんなことしても、役には立たん」。「なら、囲いに入れるよ」。「野生動物を囲える場所などない」。「なら、端綱〔馬のように顔に付けたロープ〕で縛るよ」。父は、それを遮り、恐らく母と口論の末、決めた最終案を提示する。①ジョディは、これまで以上に全力で働く〔ジョディは、「何でもするよ」と、すがるように言う(1枚目の写真)〕、②小屋に行き、残っているトウモロコシの粒を全て集める、③それを植え直し、できるだけ高い柵を作る、④柵は、芽が出る前に完成させる、というものだった〔日本語字幕で、みっともない誤訳。②が「まずはに行き、トウモロコシの種を集めろ」となっている。畑に種がまだ残っている? 未だに発芽していない種を集めてどうする? 開いた口が塞がらない〕。ジョディは、すぐ小屋に行き、残っていた丸ごとのトウモロコシから粒をすべてそぎ落として、壺に入れながら、フラッグに 「柵が完成するまで、お前は納屋に監禁だ」と、怒った顔で言う(2枚目の写真、矢印はトウモロコシの壺)。そして、翌日、ジョディは、(1)馬に鋤(すき)を牽かせて畑の土地を起こし(3枚目の写真)、(2)トウモロコシの粒を入れる穴を鍬(くわ)で連続して掘って行き、(3)最後にその穴にトウモロコシの粒を複数入れて行く。父と2人でやった作業を、1人だけで行うので大変だ。
  
  
  

それが終わると、すぐに畑の周囲に、柵を作り始める。頑丈で、隙間が狭く、かつ、高くなければいけないので、仕事は、まず、森まで荷車を馬に牽かせていき、かなり太くて使えそうな長さの倒木の破片を多数集めて来ることから始まる。そして、それを、適量ずつ、間隔を置いて荷車から地面に捨てて行く。肉体的に大変で、根気のいる労働だ。柵は次第に高くなっていき、雨が降っても続けられる。その様子を窓越しに見ていた父は、ジョディを呼び、「お前が必死に働いているのは立派だ。だが、あの1年子をお前がどう思ってるにせよ、そのために死ぬだけの価値はないぞ」と心配し、ジョディは 「死にはしないよ」と反論する(1枚目の写真)。そして、「お前を助けてやれるのなら、命が1年縮まってもいいんだが」と言う〔19世紀なので、ヘルニアは簡単には治らない〕。柵が高くなると、ジョディだけでは木を持ち上げられないので、母が協力する(2枚目の写真)。そして、遂に柵は完成し、ジョディは母に飛びついて喜びを爆発させる。「助けてくれてありがとう、母ちゃん」。「あんたがこんなに働くとは、思ってもみなかったわ。これなら、トウモロコシも収穫できるわ」。ジョディは柵のてっぺんに登り、全体を見回す(3枚目の写真)〔これだけの材料を1人で集め、頂部を除き、1人で組み上げたとは 凄い〕
  
  
  

そして、トウモロコンの芽が伸び始めた頃、真夜中に、もう納屋で監禁されていないフラッグは、楽々と柵を飛び越え(1枚目の写真)、トウモロコシの苗を食べ始める(2枚目の写真)〔こうなると、この映画で一番の悪魔的存在は、フラッグということになる。だから、“少年と仔鹿との交流を描いている” と誤解させるような邦題を、なぜ付けたのかが問われる? 映画の主題は、災厄に直面した少年の成長を描いている。その “災厄” が仔鹿というのだから皮肉なものだ〕。翌朝、ジョディは父に呼ばれる。「私たちが、農作物にすがって生きているのは知ってるな?」(3枚目の写真)。「はい」。「それが、次から次へと破壊されていくことは許せん」。「はい」。「あの野生の1年子に破壊を止めさせる方法が何もないことはお前もよく分かっただろう」。「はい」。「お前には心底申し訳ないと思う。だが、全ての手段はやり尽くした。1年子を森に連れて行き、縛って撃ち殺しなさい」。それを聞いたジョディは、驚き、「父ちゃん」と2回言いながら部屋から出て行く。
  
  
  

ジョディは、銃を持ち、フラッグを森へ連れて行く(1枚目の写真)。しかし、撃ち殺す気にはなれないので、「フラッグ、お前 どっかに行くんだ。そして、二度と戻って来るな。もう大きい。雌鹿を見つけろ。思ってたように、みんなで一緒に暮らすことはできない。お前はワザとじゃなくても、悪い子だ。お前は 自分一人でやっていけ。できるだろ? 大丈夫、賢いからな」。こう言った後で、別れるため、「もう、お前のことなんか、どうだっていい。小さい頃のように可愛くもない。行っちまえ。ただの役立たずだ。行け!」と、心にもないことを言い、さらに、「もう、お前を助けてやれん。ここにいたら殺される。お前を撃つ前に、いなくなれ!」と言って、そこら辺に落ちていたものを投げつける。そして、家に戻ってくると、逃がしてやったことを父に報告する。父は、「どうして、私が言った通りにしない?」とジョディを責める。「できなかったんだ、父ちゃん」。「母ちゃんを呼べ。お前は部屋に行き、ドアを閉めろ」。「はい」。ジョディは、バルコニーにいた母に、「父ちゃんが来てくれって」と言うと、自分の部屋に入り、落胆してベッドに腰を降ろす(2枚目の写真)。そして、しばらく うつけたように宙を見つめていると、いきなり銃声が響き渡り、ハッとして正気に戻る(3枚目の写真)。愚かなフラッグが戻ってきて、母に撃たれたのだ。
  
  
  

ジョディが、家の正面に駆けていくと、そこでは母が銃を構えて立っていて、庭先にフラッグが倒れている(1枚目の写真)。母は、銃を撃ったことがほとんどないので、一発で殺すことができなかったのだ。それを知り、無理して部屋から出て来た父は、ジョディに 「終わらせるんだ。苦しませるな」と命じる。それを聞いたジョディは、母から銃を奪うと、母に向かって、「ワザとやったんだ! いつも嫌ってたから!」と怒鳴り、父に向かって、「僕を裏切った! 母ちゃんにやらせたんだ! 大嫌いだ! 死んじまえ!! 二度と顔なんか見たくない!!」と叫ぶと(2枚目の写真)、傷付いて倒れているフラッグを泣きながら撃ち殺す。そして、その場で銃を捨てると、泣きながら森の中へと走って行く(3枚目の写真、矢印)。父は、「ジョディ!!」と叫ぶが、ジョディの姿は森の中に消えていく。
  
  
  

ジョディは、森の中の沼のような場所を歩き続け、くたびれて木の根元で眠ってしまう。辺りが暗くなった頃目が覚めると、「母ちゃん、お腹空いた」と泣き始める。ジョディは、翌朝、明るくなってからも沼の中を歩いていて、一隻の朽ちたボートを見つける。そして、その中に這い上がるように乗り込むと、そのまま力尽きて気を失ってしまう(1枚目の写真)。ボートは水の流れに徐々に乗り、最後には川に入って行く。どれだけの時間流されていたのかは分からないが、外輪船が前方のボートに気付き、航行を停止し、ボートを出してジョディを救う。しばらく意識が戻らなかったジョディだったが(2枚目の写真)、突然、「父ちゃん!」と叫んで目が覚め、船員が出してくれたスープのようなものに飛びつく(3枚目の写真)。
  
  
  

船は、彼を家の近くで降ろしてくれたのだろうか? 翌朝、ジョディは家に戻ってくる。ドアが開いたので、母が帰ってきたのかと思った父は、「オリーか?」と訊く。「僕だよ」。暖炉の前にいた父は、すぐに向きを変えると、笑顔で 「ジョディ」と言う。そして、ジョディがすぐ前まで来ると、「もう会えないんじゃないかと思い始めてた。大丈夫か?」。ジョディは何も言わず、笑顔で応える(1枚目の写真)。「死ななくて良かった。もう出てくんじゃないぞ。神様ありがとう」。「すごく帰りたかった。大嫌いだなんて言ったけど、本気じゃないからね」。「私だって、子供の頃は、そんな風に言ったものさ」。「母ちゃんは?」。「3日の間、ずっとお前を探してた。お前が戻ったと知ったら、喜ぶぞ」。父はジョディに話しかける言葉は長いが、中でも一番重要な部分は、次の台詞であろう。「息子よ、すべての男が知っておくべきことが一つある。お前も、もう分かったろう。それは、殺されるべきだった1年子に限ったことではない。人生には、叛かれることもある。お前は、男の世界がどうなっているか見てきた。誰もが、楽しくて安易な人生を望む。それは当然だが、簡単ではない。お前には、私より楽な生活を送って欲しかった。私の息子が、厳しい世界に直面するのを見るのは、辛いことだ。私が苦しんだように、息子も苦しむのだと知ることは。しかし、男は誰もが孤独だ。なら、どうしたらいい? もし打ちのめされたら、どうする? その時は、気を取り直し、先へ進むんだ」。父は、今後、ジョディが進む道として、「お前が、この先、この農場に留まることを選んでくれたら、嬉しいんだが、どうだ?」と尋ねる。ジョディは、「そうするよ」と答え、父は握手の手を差し出す(2枚目の写真)。ジョディは、寝室に入る前に、ジョディは、「明日は、朝一番でトウモロコシを始める。僕たち、やり遂げないと」「春になったら、がに股じじいをやっつけに行こう」と言ってからベッドの部屋に入って行くが、それを、戻ってきた母が嬉しそうに聞いている。そして、ドアがしまると、父にむかって、「帰ってきたのね」と感激を顕わにする。「そうだ。彼は戻って来た。別人になって。彼は苦痛に耐えた。もう1年子と遊んでいた子供じゃない」。母は、ジョディの部屋に入って行き、今まで見せたことのない優しさで、ジョディを抱きしめる(3枚目の写真)。
  
  
  

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